家族とお客様の愛、健康食品のおかげで仕事が生きがい!元気が目印!パワフル中田のプロフィール

霊芝・アガリクス健康食品で人生変えたパワフル中田やえ子

こんにちは。パワフルスマイル店長の中田です。
中田さんってどんな人なの?
という疑問にお答えさせていただけるよう丸裸になって本心で書かせていただきました。

 

6歳で初めて体験した大切な家族を失うということ

9人という大家族、三人姉妹の一番末っ子として中田家に生まれました。

中田やえ子の家族父が今のパワフル健康食品を起業してすぐだったので
一番苦しく一番大変だった頃だと聞いています。
甘えん坊の私は、おじいちゃんがすっごく可愛がってくれて
記憶はそんなにないけど、抱っこしてくれていた温もりは覚えています。

忘れられないのは、小学一年の時、帰って家の周りが騒々しかった事。
お仏壇の前でおじいちゃんが目を閉じている。お母さんが泣いている。

 

いつもみたいに「おかえり」って抱っこしてくれない。大好きなおじいちゃん

そんな映像が脳裏に残っています。

現実を受け止められずに毎日学校で吐いていたそうです。。。
初めて大切な家族を一瞬で失う怖さ、生活がガラッと変わることを体験しました。
だからなのか、隣で眠る家族の寝息が私の子守歌。
近所の子たちとも常に一緒にいたり班長よりも副班長の位置でいつもサポート役をしていました。

 

健康食品のすごさを体験したことが会社に入ったきっかけ

【中田が体験した事】

・アレルギー性鼻炎での病院通いしなくなった!
・アトピーでひどかった肌がきれいになった!
・マイナス25kgダイエットして、可愛い洋服が着れるようになった!

【健康食品飲むには早くない?と半信半疑だった私が】

小学生の頃からずっと病院に通っていたほどひどかったアレルギー性鼻炎。
半袖が恥ずかしくて着れないほど掻き毟った痕のある私を見たお父さんから、
試しに姫マツタケを飲んでみないか?
と進められ、正直、健康食品っておじさんたちが飲むものなんじゃないの?と
半信半疑でしたが飲み始めて、気が付けばティッシュを持ち歩かなくてもいい、ノースリーブも着れるまでになっていたんです!!!

 

すごいね!!!お父さん!!!

この事がきっかけで健康食品と父の仕事に興味を持ち、栄養士の学校に進み会社へ2000年に入社。

【マイナス25kgのダイエット成功!!!】

でもその頃の体重は80kg。
あれれれ?
気が付けばいつも黒い服、だぼだぼズボン。。。。
これじゃあ大好きなTOKIOの傍にいけない!!

そこで、運動スタート。
ドリンクだけのダイエットは体重が一旦落ちてもお肉が弛む。。
そうだ!効率的に痩せてやろうじゃないか!!!!と
運動前に霊芝・アミノ酸を飲みリンパマッサージをしてから走る
泳ぐ。の繰り返しの2年。
周りに痩せたね~と言われる頃には55kgに。   ダイエット成功実話

マイナス25kgのダイエットに成功!!

久しぶりにピンクやふわふわした洋服を着たら嬉しくって嬉しくってその感動も味あわせてくれるお手伝いをしてくれたのはレイシだなって実感はあります。
普通、バストから落ちるというけど、中田は1カップあがったくらいです(笑)

 

今も運動さぼると太りやすいからジムに通って自分メンテナンスも続行中!

一人の女性との出会いから父の作った健康食品が偉大だと知る

 

学校では食事面での栄養学を学んでも
健康食品は別物。

身体の構造や有効な成分の摂り方だけでなく、工場の安全性、健康食品に関わる法律まで一貫して学べ、確実に相談してくださるお客様のお役にたてれるように食品保健指導士の資格を得るよう東京に通い取得。

食品保健指導士(サプリメントアドバイザー)の資格があっても、市場調査も健康の勉強も続けているからこそ、々な質問にも答えられるし提案もできるようになりました。

 

その時に問合せをしてきてくださった女性のAさんが中田という人間軸を作ってくれた方。

Aさんはまだ30代なのに末期のがんで余命三か月と宣告されて
少しでも抗がん剤の副作用を抑えたいからと調べて姫マツタケにたどり着いたと相談してきてくれました。

Aさんとはメールのやりとりで、医学的なことは私では答えられないので、姫マツタケの研究者であり顧問の伊藤先生と話をしていただいておりました。

体調の事だけでなくて、

今日は体調良くて神社に行ってきましたよ。とか家族と笑いながら食事摂れるようになりましたよ。など
細かく伝えてくれて私も自分の事を話したり励ましたりしていました。

 

一年半やりとりが続き、次第にメール受信が減り
心配していた時
Aさんのメールアドレスから連絡。

 

開くとそこにはAさんのお母さんから
Aさんが旅立ちました。
と。

言葉を失いました。会ったことはないけど姉妹のようにやりとりしていたから。。
耐え切れなくて自分コントロールがきかなくて会社で声をあげて泣きました。

 

お母さんからの手紙には

「最期は家族に囲まれながら笑顔で眠るように旅立ってくれたことだけが救いでございます。
中田様には他人である私どもに心のこもったご支援を頂き、幾度となく勇気付けて頂きましたこと、心から感謝致しております。本当にありがとうございました。
これからもガンと闘う方々のお力になって頂きたいと願っております。」

というお礼までいれてくださりました。

この時改めて、健康食品の存在意味、すごい仕事をしているのだと実感しました。

Aさんとの出会いは私が父の作った健康食品がどれだけすごかったか。

ともに、どれだけの想いを込めていたか気付かせてくれました。

姫マツタケはガンを患っている方の為だけ健康食品ではないけれど、やはり飲まれている方が多いのも事実で、
Aさんのように家族のそばで笑ってすごせる人がもっといるはずだと感じ、通信販売を自社で行いもっと広く知ってもらうことが私の存在意味ではないのか。という気持ちが湧き出ていました。

 

愛息子への愛、永遠に。 命の尊さ、命の重さを全身で感じたみるくとの別れ

 

お父さんっ子だったのになぜか反抗期も長かった中田、
そんな私に新しい命をお父さんが連れてきてくれました。
手のひらサイズで小さくて真っ白でニャーニャー泣いていた子猫、
その子が一目ぼれした愛息子「みるく」

病気がちだったみるくが家族の一員になり家族の絆をぎゅっと繋いでくれました。
何よりも私がみるくの為にずっと家にいたり家族と素直に過ごせるようになったのもみるくのおかげ。

 

喧嘩っ早いくせにすぐケガして病気して病院。。。パワフル中田の愛猫みるく
ネズミペッタンに自らひっかかって病院に行くこと4回。。。。
病院では猫被って大人しいくせに車の中ではギャーギャー騒ぐ。。。
お仏壇のおまんじゅうやお菓子を食べすぎて7kgという太りすぎなむっちり体型。。。
どれも愛おしい愛息子みるく(笑)

 

みるくがいてくれれば何もいらなかった。
みるくがいてくれれば辛いことだって跳ね除けてこれた。
みるくの温もりが何より私のご褒美だった。

 

2011年夏、痩せ始め秋には食欲が本当になくなってしまい
まさに老猫。

 

頭をよぎったおじいちゃんの日のこと。
嫌だ。ダメだよ。まだ大丈夫だよね?

3歳の時、耳に出来た腫瘍も姫マツタケで何とかなった。
みるくには姫マツタケがある!
とペーストを舌でなめさせて、みるみる元気になっていって一安心でした。
東京に営業に出る日々だったからお母さんに託し出来るだけ一緒にいられるように過ごした。

2012年6月、復活していた体力もなくなり立てなくなったみるくは
オムツをして完全介護。
大好きだったお庭で外の空気を吸ったり、小さい頃過ごした思い出いっぱいある母屋に行って思い出話したり、どれだけみるくがいたから私が私でいられたかいっぱいいっぱいお話しました。

 

21日、いつもは泣かないのに朝からニャーニャー声を大きく出したり手足を動かしたり、手を握ると握り返してくれるくらい力強さがあってすごい嬉しかった。

でもその夜、静かに少しづつ私の腕の中で永遠の眠りにつきました。

 

ありがとう。みるく。ありがとう。

 

って伝えながらも
一人にしないでよ。置いてかないでよ。みるくがいなくなったら私も生きたくない。
そんなことしか考えられなくて現実受け止められなくて2日間みるくの手を握っていました。

 

ふわふわでもっちもちで温かかったみるくの体温はなく
それでもみるくに触れていたかった。

たまたま3日後、家にご住職さんが来られる日で
みるくを抱えた私とみるくを見て
「こりゃ優しい顔してるわ。安らかな気持ちで逝けたね。」
って言ってくれて、みるくを眠らせる場所も見つけてくれてとうとうみるくと本当にお別れの日に。

 

思い出しながら今も嗚咽してしまうくらい泣いているけど

みるくが教えてくれたこと

それは、心から愛することで命の尊さ、重さを知るという事。

あきらめなければ、出来ることがあるなら何だってできる。


それが愛する人を守る事。

ということ。

誰しも終りがくるのはわかっています。

でも
一分一秒でもいい。
そばにいてほしかった。

 

私のわがままだったかもしれない。
でもあきらめなければ、出来ることがあるなら何だってできる。
それが愛する人を守ることだって
学びました。

ずっと誰よりも永遠に愛してるよ。みるく。

 

 

 

誰よりも尊敬している大好きな父。 父のように、寄り添い、見守り、励まし、支えられる存在になっていきたい。 中田家に生まれて会社にいる事は必然的な事。

 

みるくもおじいちゃんもいつも見守っていてくれると信じて、
今を一生懸命に生きることを誓いました。

 

そして今、長野の中小企業家同友会に入り経営者様と一緒に学ばせていただいているのですがそこで気が付いたことがあります。

 

父は社長業を簡単にこなしていたわけではないんだという事。
実際に様々な業種の社長様の話を聞き、どんな人でも実践し検証しながら悩んでいるという事を目の当たりにし、
父もたくさん学びながら会社を社員を社員の家族をお客様を守り支え励ますって
どれだけ大変だったんだろうと。。。

それだけじゃなく私はきっと誰よりも社長である父に心配をかけた。感謝の気持ちが大きい
というのも、25歳の時インターネットの勉強会を機に仕事に没頭するようになり、考え出すと周りが見えない一直線なところから勝手に寝る時間を削っていたり、勝手に辛くなって泣いて落ち込んだり周りの人と話すことさえしなくなっていた私。自分の存在意味が分からなくて彷徨って、、、救ってくれたのは社長の言葉。
「まだまだやれることはたくさんあるだろう?」と。

ずっと色々言いたかったことがあると思います。
けれど見守り、助言をくれたり、そばにいてくれました。
その時でなくても、今でも突っ走っても冷静に判断してストップさせてくれる。
外に学びに行かせてくれる。
社長として父として言葉をかけてくれる。
仕事が生きがいとさせてくれるきっかけは会社に入らせてくれた全て父のおかげ。

尊敬する人は誰ですか?
と質問されたら、速攻で父です。って答える位、大きな存在です。

父がどれだけ苦しくても信念もって貫いて築き上げてきた会社と医学博士薬学博士、大学教授の皆さんの研究とともに完成させた健康食品をもっともっとたくさんの人に知ってもらいたいですし、

何よりも1日でも長く穏やかな毎日、笑って過ごせる毎日を健康食品がお手伝いできる!
と信じてパワフルスマイルの名で商標も取得し通信販売のパワフルスマイルショップの責任者・店長となってスタートしました。

 

パワフルの健康食品に出逢い、飲んでくださっているお客様一人一人が家族です。
パワフルファミリーです。

 

より多くの人が大切な人と1分1秒でも一緒にいれますように、
一緒に喜びあえる家族のような存在になることが私の使命だって感じます。

まだまだ子供っぽいところもあるけれど
おじいちゃんの突然死や愛息子とお客様との出会いが私の軸を作ってもらった分
健康面に関しての勉強も続け自分に厳しくそして人間味を深め
父のように、年齢不詳で羨ましがられるくらいの健康さ、
寄り添い、見届け、励まし、支えられる存在になって
愛し愛されるパワフルファミリーを作っていきたいので
どうぞ家族の一人として接していただけたら嬉しいです。

 

最後までお読みいただき誠にありがとうございました。

2015年2月吉日   中田やえ子

 

いつも若々しい中田福佳社長へのインタビューとプロフィールページはこちらから。

 

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パワフル健康食品株式会社

食品保健指導士サプリメントアドバイザー

栄養士 中田 やえ子

 

公開日:   最終更新日:2015/08/06